クルマの高額化はなにをもたらすか

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物価の上がりつつある近年ですが、自動車の価格は物価を牽引するように上がっているようです。クルマの価格が上がる原因はどこにあるのでしょうか。またこうした自動車の高額化は私たちの社会をどう変えてゆくのでしょうか。

高額化するクルマ

たとえば上の記事によると、同じベーシッククラスの車両で10数年前と比べて3割近く上昇しているそうです。国交省などの統計でも社用車、自家用車ともに新車の価格は上昇する傾向にあります。

また価格上昇の理由として、原材料費と製造コストの高騰、標準装備の増加。半導体不足の影響、運転支援システムの高度化、衝突安全性能や環境基準などの規制強化などがあげられています。

販売台数の減少

もちろんクルマの価格が上がる要因は上記のものの影響が大きいことは間違いありませんが、ユーザーの市場規模そのものが縮小しつつあるという構造的な問題があることも否定できません。

クルマの新規販売台数は長らく400万台を下回ることはなかったのですが、昨年は350万台ほどになり、おそらく数年のうちに300万台を切ることも間違いなさそうです。

販売価格の高騰はこうした販売台数の減少を補うように上がっており、売上自体は若干の減少傾向という結果になっています。

つまり減りゆく販売台数に対して、売上を維持しようとするために価格が上がってしまい、上がった価格を装備や性能の向上で正当化しているという構図になっているのだと思われます。

経済合理性の喪失

クルマの所有は趣味性や嗜好性が強い消費でありステイタス消費でもありますが、一方では生活上の実用性という実需的な消費でもあります。クルマの高額化はステイタス消費としては整合的な部分もあるのですが、実用的消費としては経済合理性を失いつつあり、このままであればクルマを手放して生活することを検討する人が大幅に増える可能性があります。

クルマの高額化は既に中古車市場においても起こっており、修理代、メンテナンス費用、燃料費、税金、保険などのランニングコストも高騰を続けています。今やクルマは生活上の移動手段として利用したい人が気軽に買い求められるような商品ではなくなりつつあります。

個人的にはクルマを手放した生活のほうが家計上の改善がしやすいと考えるので、マイカーは持たないようにしようと呼びかけているところなのですが、いよいよ多くの人が現実的な問題として考える必要がある問題になったのではないかと思います。

国内メーカーはある程度意図的にこうした市場へと変化させているようです。主要な顧客に求められる製品の品質や販売網を維持するためには仕方のない面もあるのかもしれません。しかしこの高額化という方向性は既に上限が見えており、次にくるのはコストカットしかありません。

しかもこの戦略はクルマの実需側を置き去りにしているため、いずれ実用的で低廉なクルマによる新規参入を許すことになるでしょう。現状は有形無形の参入障壁があるため簡単ではないでしょうが、EVへのシフトなどの機会を利用して挑戦してくる海外メーカーが現れると予想します。

高額化の未来

国内メーカーが実用的で低廉なクルマをこれから大々的に投入することはおそらくないでしょう。カルテルのような意図はないにしても、儲からない実用車の市場からは手を引く決意があるのだと思います。消費者は当面いろいろな工夫で安くクルマに乗ろうとはするでしょうが、新規参入メーカーが来るまで手に届かないものになったことを嘆き続けることになるでしょう。

それにしても原材料や製造コストの高騰は物価の上昇による影響なので仕方ありませんが、過剰品質、過剰性能による高騰はこれからの私たちと経済社会との関わり方について大きな問いになってくるに違いありません。

より良いものを求める消費主義は経済合理性による限界にはいずれ敗れることになるのだと考えます。今はまだ想像すらできませんが、多くの人が必要なクルマの性能と適切な交通支出を折り合わせながらクルマを選ぶような時代が来るのかもしれません。

狩生

  ■ フリーダウンシフター ■
  ■ 減速ライフを実践中! ■
  ■ のんびり生きましょう ■

読書 / 英語小説 / 古代史研究 / ドロー系 / ウォーキング / python / 脱消費主義 / 新米ブロガー

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クルマ社会経済学
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