ミセス曲の歌詞分析は何か印象的なメッセージが読み取れた曲だけにしようかと考えていたのですが、「夏の影」の歌詞はミセスの転換点の一つとなるのだろうと感じましたので、分析をしてみます。
夏の影
2025年8月リリース曲、「キリン 午後の紅茶」CMソング
楽曲自体は切ない青春の残像を思い描いているというもので、「青と夏」と並ぶミセスの代表的な夏曲になりそうな作品です。曲調もミセス風バラードであり、のんびりとした夏の日の風景を表現しているものだと感じました。
歌詞分析
大森詩作では、お題となるテーマやタイアップからのオーダーをもとに歌詞が制作されていると考えられ、おそらく「夏の影」のお題は、夏曲を作るというコンセプトが先にあり「夏」、加えて「午後の紅茶」から「午後」をもらって「夏の午後」なのだと思います。
実際に「夏の影」の歌詞には「夏の午後」から連想される言葉が多く使われており、その表現形式もかなりストレートにそのまま置くことを意識していると感じられます。
大森詩作の特徴の一つに、相反する言葉を組み合わせて印象的なフレーズにするというものがあるのですが、「夏の影」の歌詞ではそうした装飾的に思われる語句はほとんど使われていないため、全体としてもシンプルな歌詞になっています。
つまりこのシンプルな歌詞はかなり意識されて構成されているはずであり、大森に何か意図があるとすれば、そこにあるはずだと個人的には感じます。
また「夏の影」は大森詩作の特徴となっていたいくつかの点が消失あるいは変化しており、大森詩作の転換点となる楽曲になっています。
夏曲について
ポップスは流行歌であり、言ってみれば商品としての側面が強いコンテンツです。そうしたマーケティングとしての季節ものや、毎年のイベントに引っ掛けた楽曲というものがあり、夏前に発売される夏の景色を描いた楽曲を個人的に「夏曲」と言っているだけなのですが、普通にそれで通じるのではないかと思います。
夏曲は夏前にリリースされ、夏の間に流行し、秋になるまでには消えてゆくというようなものでしたが、この数年の週間ランキングを見ていると夏になると決まってランキング上位に上がってくる楽曲がいくつかあることに気づきます。
フジファブリックの「若者のすべて」もそうした楽曲の一つであり、今年ももれずに入っておりました。夏の定番曲としてしっかり定着しているということなのでしょう。
ミセスの「夏の影」は「若者のすべて」の描く構図とかなり近いと言えると思います。「若者のすべて」を知っている人が「夏の影」を聴けば、同じところを狙ったものだということは理解するでしょう。
もちろん同様の構図を持つ楽曲というものはいくらでもあり、それを比べる意味もあまりないのですが、あえてぶつけているのは大森であり、そこには意図があったかもしれません。
なぜ「薄さ」を極めようとするのか
ただし実際に「夏の影」の歌詞を「若者のすべて」の歌詞を並べてしまうと、「夏の影」はメッセージ性がまったくないことが強調されてしまい、歌詞の「薄さ」が際立ってしまうことになります。
「夏の影」の歌詞は抽象的な情景描写が多く、具体性が極力排されています。夏特有の生々しい感じがなく、「想像上の夏」あるいは「夏の絵」を歌っているような距離感を感じます。
ミセス楽曲の歌詞は意図されて薄くなっている、ということは本ブログでも指摘してきたところですが、「夏の影」ではさらに輪をかけて「薄さ」を極めようとしてるように見えます。
これまでは表現を一見複雑なものにして、中身を仔細に見てゆくと実際には何も言っていないという構成を作ることで「薄さ」の強調をしていましたが、「夏の影」は表現をシンプルなものにしながらも「薄い」印象はしっかりと残すように作られています。
この「薄さ」が意図されたものだということを少し解説すると、まず歌詞に「色」が入っていないということがあります。「夏」を表現するには生命力が溢れた「色の濃さ、鮮やかさ」が使われることが一般的なのですが、「夏の影」では色の要素が排除されています。
また歌詞の内容も若者の恋情を描いているのですが、それが明らかになるのは終盤であって、頭から歌詞を追っている人には何が表現されているのかは、終盤まで伏せられるように構成されています。
さらに、歌詞の語り手の姿が見えないということがあります。大森詩作では語り手は常に大森自身、もしくは大森に擬した何者かであったわけですが、「夏の影」の語り手も大森自身のようにも見え、あるいは十代の女性が想定されているようにも見えます。
この語り手のはっきりとしなさ加減はいかにも大森節であり、語り手の存在感の薄さが歌詞の「薄さ」につながっています。
最初に指摘したように「夏の影」の歌詞は装飾的な語句があまりなく、シンプルで端的な単語で構成されているため、楽曲を聴いてもほとんど印象に残るフレーズはないのではないかと思います。
ですからこれまで作為的に印象的なフレーズを作ってきた大森が、選んでそうしていることからも、そこにはそうする意図があり「夏の影」の歌詞はあえて「薄さ」を表現しようとしているのだと言えます。
絵画で言えば水彩画のようなもので、薄い歌詞の中にもそれでしか表現できない美しさはあるとは思います。大森が表現したいスタイルがそちらの方向にあるということも、ここまでくれば明らかではあるでしょう。
ただしそうなると、問題は大森がことさら「薄さ」を強調しようとしている理由が、理解し難いということにあります。
大森元基「陰キャ」説
大森元基がいわゆる陰キャであることは、各所で自称していることだと思うので、仮説でもなんでもないのかもしれませんが、ミセス曲の歌詞の「薄さ」志向を説明し得るとしたら、残るのはここに由来すると考えるしかないように思います。
ミセスは大人気のアーティストですが、そのボーカルで作詞を担当している大森元基は、おそらくそれほど注目を浴びたいとは思っていないのでしょう。単純に人前で歌うことが好きなだけで、基本的にはシャイ。そして自分が好きであり、他の人から嫌われたくないという思いが極端に強いタイプなのではないでしょうか。
それ自体は人間的な魅力になっているとも言えますが、表現をしなくてはならないアーティストとしては少し足枷になっている部分もあるのではないかと想像します。歌詞においては、反感を買うことを恐れるために何かしらの主張を入れることが避けられてしまい、単純なメッセージも盛り込みにくくなっている可能性があると思います。
そうした抑制が、歌詞の「薄さ」になっている、という説です。
抑制的な詩情
こうした抑制志向は詩的表現にも現れています。「夏の影」の歌詞は、恋心を抱える若者が何も伝えないまま終わった夏を思い起こしている、という内容になっています。
もちろん、夏の暑さの中で幼く淡い恋心により火照らせている様子、それが成就しないままであるという構図、風の涼しさなどが詩情としての美しさがあるということはわかります。
聞くところによれば、折口信夫は日本の詩歌の優れたところは、何も言っていないものにあると言ったそうです。単純な印象とイメージだけを残して終わるようなものですね。「夏の影」はそうした美的意識には適っているとは言えるでしょう。
語り手にとって、自分の「火照った心」は持て余したものであり、一時の気の迷いだという冷静な自覚もあるのでしょう、恋心を夏の暑さのせいにしてそれを隠そうとしている。そして現在の「あなた」との関係性をできるだけ長く持たせたいという心情が描かれている。
大森詩作では、こうした恋心は積極的に成就させるものにはならないのですが、少し気になってしまうのは、恋心を隠さねばならない理由が明示されないことですね。
もちろん恋心は秘すべきものという暗黙のメッセージがあるわけではないでしょうが、個人的には「秘した恋心」がそんなに無条件に共感されるものなのだろうかという単純な疑問があります。
秘さねばならない恋心というところに共感があるから「夏の暑さのせい」にするという心情が詩情を持つわけですから、秘める理由が不明なままであれば、暑さにのぼせて思わず想いを口走ってしまうほうが自然に感じてしまいそうです。
これは語り手が「乙女心」でも持っているとか、関係性が禁じられているとか、「あなた」が歳の離れたお姉さんだったとか、少し歌詞にディテールが加えられていれば解決していたことです。
また歌詞の構成上、「夏の影」の歌詞が残す印象やイメージは終盤の「あの夏の日々の記憶」を思い起こしている「私」(語り手)の思いになるのですが、この肝心の心象が具体的に何なのかが曖昧にされていると感じます。
なかなか説明し難いのですが、この歌詞全体に感じられる違和感には大森の「他者に干渉してゆくことへの忌避感」あるいは無関心、内向性のようなものがあるように思います。
ミセスはどこに行こうとしているのか
「薄い」歌詞であってもミセス楽曲は人気がありますし、そこに十分な需要はあるわけですから、もっと「薄さ」を追求して独自の表現を求めるのも一つの方向でしょう。
逆に、大森詩作がこれから大きく変わり、大胆な主張とメッセージを発するようになるということはないと予想します。それは大森が志向するスタイルではないからです。ただ少しは作品に主張が入ってくる方向になる可能性はあるでしょう。
そもそも何の主張も含まれない歌詞を書くほうが難しいので、これは技術的な問題ではありません。語り手に設定がされないことも、メッセージ性を入れないことも同じところに起因しているはずで、それがどうなってゆくかは大森の覚悟次第ということなのでしょう。
「若者のすべて」と「夏の影」を比べるわけではありませんが、おそらく来年の夏も「若者のすべて」は聴かれることになると思いますし、「夏の影」のほうはミセス人気が継続しているか次第なのだろうと思います。良い曲だとは思うのですが、影が薄いですからね。



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