AI(artificial intelligence)が実際に使われている場面が増えているようです。音声アシスタントは思い起こしやすい例ですが、そのように人間と対話はしなくてもサービスやアプリケーションの機能の一部を実現するツールとして実装されることも多くなりました。
現在AIと言われているものは人間のような思考をしているわけではなく、機械学習によって与えられたデータからより適切性の高い判断を返すように訓練されたソフトウェアです。このようなAIは限定された用途の道具として、あるいはロボットなどの高度な制御を必要とする機械に向いています。
AI利用の進展
まずAI利用の進展を見ながらその影響を考えてゆきましょう。
初期のAI
Gmailに最初にスマートリプライが搭載されたのは2017年のことです。スマートリプライはAIによってメールの返信を作成してくれる機能で、受信したメールの内容に応じた返信の文案が3つ提案されワンタッチでメールの返信ができます。
利用初期のAIでもあるので、現在の技術水準から考えるとあまりレベルの高いものではありません。ユーザーのメールを学習することによってかなり高度な内容の返信もできるのですが、なかなか使いこなすのは難しいようです。最近のカスタマーサービスなどに使われているチャットボットのほうがスマートな印象です。
スマート作成という機能もありますが、残念ながらまだ日本語に対応していません。これはメールの作成時に入力した文に対して候補となる文が提示され、それを選択してゆくことで簡単に文章が作成できるというものです。これも名称ほどにはスマートではなく、なんとなく意味がわかるぐらいの文章ができます。
パターン認識
最近は音声アシスタントの利用は普通のことなのでもはや意識すらしないかもしれませんが、音声アシスタントは音声認識とチャットボットを組み合わせたものです。音声認識はパターン認識とよばれる技術を音声に応用したもので、音声からテキストを抽出しています。
パターン認識は指紋認証や顔認証などの認証機能にも使われていてAIの機能というわけではありません。文字認識や画像認識により個別の文字や人物をデータとして認識でき、それが環境データとしてAIにわたされます。
つまりパターン認識の精度が上がったことでAIの得るデータの信頼度も上がりました。これが近年のAIの判断の正確性へとつながることになりました。
ジェネレーティブAI
近年のテキスト生成AI(TGM)の進化はすばらしいものがあり、文章を生成するサービスも増えてきました。これは主にOpenAIのGPT-3の成果によるもので、大量のテキストデータを使用してモデルに事前学習させることで、自然な文章を簡単に生成することができるようになりました。
文章の品質は初期のものに比べて非常に高いと言えます。簡単な用途では人間が作成した文章とほとんど区別できないでしょう。しかし長文などでは内容の整合性を保つことがまだ苦手であり、新しい概念や考え方を意図的に生み出すというような高次な能力は持っていません。
TGMの文章は確率によって生成されており、意図に基づいて文を作っているわけではありません。しかしランダムに生成された文字列であっても意味は存在するので、ときには印象的な文章が生まれることもあるわけです。
この一見自然に見える(人間が記述したように見える)ということと、既存の思考の枠組みにとらわれないAIの生成物という関係は、これからの可能性が大きく開かれるのと同時に、悪意や誤認を増長するフェイクニュースなどの社会的な問題を引き起こす危険性があります。
ジェネレーティブAIの利用範囲は急速に拡大し、テキスト、画像、音楽などの分野でまたたく間に利用されるようになりました。
使われるAIと使う人間の関係
利用の進展を見る限り、現在AIと呼ばれるものは基本的に人間の作業をアシストすることを目的に作られていると言えます。そしてAIの性能の高度化によってアシストの範囲は拡大しつづけています。
AIによって広がる創造性
もちろん人間の作業のアシストであるという範囲であれば、特に問題があるわけではありません。作業のアシストしてくれるものは道具なのであり、これまでも道具の進化はいくらでもあったからです。
むしろ進化した新しい道具をどれだけうまく使いこなせるかがクリエイターに問われていたことであり、それはAIであっても基本的には同じことでしょう。
人間の思考の枠組みにとらわれないというAIの特性は人間の創造性を拡張することを可能にするでしょう。AIの突拍子もない生成物が人間の発想を飛躍させるインスピレーションになることは十分に期待できることです。
創作の意味
法的な観点から見ると、現時点ではAIの生成物は著作権の対象にならないことになっています。とはいえ生成されるものは生まれつづけるわけですから、中には商用として著作権者が存在しないまま流通するものも出てくるでしょう。フルオンチェーンのジェネレーティブNFTアートなどはまさにそうしたものと言って良いかもしれません。
現状のジェネレーティブ作品の品質から言えば、生成物に人間が多少の修正を施した上で流通させることになるでしょう。そうすることで著作権を持つこともできるでしょうから。AI生成物においてはいずれその流通量の問題になってきます。生成コスト次第ではありますが乱造される可能性もあり、結果的に人間の作品も含めた形で希少性を失うことになるかもしれません。
こうした市場性の問題とは別の問題として、AIによるアシストがどこまでなら人間の著作物として認められるのかということがあります。生成されたもののなかから選別するだけでも良いでしょうか。もしくは制御トークンと言われるキーワードを選んでいれば良いのでしょうか。生成物を加工するとしてもどの程度であれば人間の著作物として許されるでしょうか。
そうすると創作においてのアシストとは何かという話になります。完成した作品に人間の創作部分とアシスト部分の間に線引きすることは不可能ですから。
たとえば私たちがどこかへ移動しなければならないとして、歩くよりクルマに乗ったほうが合理的であるような場合はよくあることでしょう。つまりクルマというアシストを使ったほうが合理性があるような場合、歩くことの価値をいつまでも考えていてもあまり意味がありません。
もう少し言い換えるとアシストされた分は普通はラクになります。結果として移動するだけならラクをしているだけの話です。しかし創作行為として考えるなら、アシストされた分はもっと高いレベルの作業を増やすことに使わなければ単に手を抜いた作品が生まれるだけになります。
おそらく私たちはAIを利用することによって、創作することの意味を大きく変更する必要に迫られることになるのでしょう。法的な枠組みや著作の価値もそれに適合させてゆく必要があります。
フェイクの時代の幕開け
人間の創作物とAIの生成物を区別する技術も同時に発達しつつありますが、いずれイタチごっこに陥って、どこかの時点で区別がつかない状態になるでしょう。
現在でもAI生成物によるフェイクが問題になっていますが、こうしたことが今後は加速する可能性があります。私たちは何が現実で何が架空なのか、真実が何で虚偽が何なのか次第に判断がつかなくなるでしょう。このような状態は非常に危険で、予測不可能な事態を引き起こしかねません。
もちろんそこまで悲観的なことにはならなかったとしても、きっとAIリテラシーとでも言うのようなものはすぐに必要になるでしょう。安易なAIの利用には制限をかけられることもあるかもしれません。
かつてはAIといえば、その意思を持って人類に対して反乱を起こすことに危機感を持たれたものでした。しかし実際のAIに関する危険性はそのようなものではなく、社会的な混乱を助長しかねないということにあるのだと思います。
いずれにしても私たちはAIを社会に受け入れるにあたり、人間とは何か、人間の創造性とは何か、創造の価値とは何か、等々と本質的な部分を問われることが多くなるのだと思います。それに答えるだけの準備を今からでもしてゆかなくてはなりません。
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