King Gnuのアルバム「CEREMONY」の収録曲についての歌詞分析を行ってゆきます。
既にアルバムの半数の曲は以下の記事で分析済みですので、そちらの記事もご参照をお願いいたします。
アルバム内のインタールードについては除いています。
どろん
Teenager Forever
ユーモア
ゲーム「ロマンシング サガ リ・ユニバース」CM曲。
「ユーモア」の歌詞は夜の街を舞台に現代社会の閉塞感や孤独感、それでも前を向こうとする人間の複雑な感情を描いた作品だと思います。繰り返されるフレーズと時間経過の描写、印象的な比喩表現を通して心に深く響くメッセージが伝わってきます。
常田詩作では夜に踊る人が出てくるようで、鬱積した想いを発散する様子とダンスの後に一瞬垣間見える希望というモチーフが描かれがちなようです。
楽観的な「なんだかんだで上手く行く気がしてきた」というフレーズと、現実の厳しさを表す「悪あがき、綱渡り」というフレーズが対比的に用いられることで、人間の複雑な感情を表現されています。「ユーモア」というタイトルが示すように、シリアスな状況を少し俯瞰して笑い飛ばすような、余裕や遊び心を持とうとする語り手の焦燥感と覚悟が見えます。
また歌詞の中で時間経過の描写があり、夜の街をさまよう人々の憂鬱と楽観の間で揺れ動く様子が表現されているのでしょう。
全体として閉塞感や孤独感を感じている語り手がユーモアを手がかりに希望を掴もうとする気持ちがにじみ出ている歌詞になっていると感じます。語り手は特別に優れた能力を持たず、恵まれた環境にもいません。社会の片隅でもがきながら生きている等身大の人間として描かれています。聴き手としてはこの語り手に共感を覚えます。
「ユーモア」というタイトルが示すように、絶望にも思える状況を少し俯瞰して笑い飛ばすような、余裕や遊び心をいつでも持っていたいですね。それは夜の闇に灯る希望の光となるでしょう。
白日
飛行艇
小さな惑星
Honda VEZEL CM曲。
「小さな惑星」の歌詞は繰り返される日常の中で、夢を見続けることの難しさ、それでも見つけるささやかな希望、そして隣にいる人との温もりを描いているのだと思います。日常的な言葉遣いを活かしていて、心に寄り添ってくるような優しいメッセージを感じました。
歌詞は夢と現実の狭間での葛藤がありながらも、日常の中に潜む小さな幸せを見つけ、共に生きる人との関係性を大切にすることの重要性を語りかけているような気がします。タイトルの「小さな惑星」は、登場人物の生きている小さな世界を象徴していると考えられ、その中で感じる微妙な感情や人間関係が描かれているように読めます。
日常的な言葉遣いと情景描写が効果的に用いられており、人物の微妙な感情の変化を鮮やかに表現しています。
「小さな惑星」の歌詞はかなりシンプルな内容で、春の訪れのなかで人物の微妙な心の動きを捉えています。King Gnuの楽曲としては小作品な感じで「傘」に似た軽いタッチの楽曲なのかなと思いました。
Overflow
家入レオに提供した楽曲のセルフカバー。
「Overflow」は現代社会のプレッシャーや自己嫌悪に苛まれながらも、愛を求めて奔走する人間の内面を描いている楽曲でしょう。低いままの自己肯定感と愛への渇望が絡み合ったようなやるせない心情が前面に押し出されている感じがします。
最近のKing Gnuを知っている聴き手からすると、あまり小細工に走らずにストレートな表現がなされた歌詞の曲ではないかと思いました。
自己嫌悪と愛への渇望
「Overflow」の歌詞全体を貫くテーマは、現代社会における不確実性、自己嫌悪、そしてその中で見出す愛への渇望のように読めます。タイトルの「Overflow」は不安や切迫感そして欲望などが過剰に溢れだしている社会を象徴して表現しているのでしょう。
- 不確実性: 「幸せの対価に、どれ程の価値が要るかなんて 知る由もない、知りたくも無い」という歌詞は社会において確かに信じられるものがなくなり価値観が定まらない状況、何が本当に大切なのか分からなくなっている状況を表しています。
- 自己嫌悪: 「自分の替えなど いくらでもいるんだ 自惚れんなよ 世界はそんなもんだって 生きてりゃわかるさ」という歌詞は自己肯定感が低く、自己嫌悪や無力感が溢れる状況を表現しています。現代社会における競争の激しさ、自己の価値の喪失といった虚無的な感情が込められています。
- 愛への渇望: 「愛を探しに行くんだ 君に逢いに行かなくちゃ あと一度だけでいい 初めからやり直せるはずさ」という歌詞は語り手の愛への強い渇望を表しています。孤独や不安を抱えながらも、愛を求めて奔走する姿が描かれます。「みっともないって呆れてくれよ 惨めだねって罵ってくれよ 見捨てずにまた遊んでくれよ 昔みたいに笑ってくれよ」というフレーズからは愛されたい、受け入れられたいという切実な願いを表現されています。
葛藤と希望の繰り返し
歌詞は自己嫌悪や絶望を描写する部分と、愛を求めて希望を見出す部分が交互に現れる構造になっています。これはおそらく人間の心の中で葛藤と希望が渦巻いている表現しているのではないかと想像します。
口語表現
この歌詞の特徴として口語表現が効果的に用いられていることがあります。基本的に感情を率直に表現することで歌詞の世界観がイメージしやすくなっていると思います。
- 口語表現: 「知る由もない、知りたくも無い」「生きてりゃわかるさ」「みっともないって呆れてくれよ 惨めだねって罵ってくれよ」といった口語表現は感情をストレートに伝えています。
- 感情の吐露: 「夢ばかりを見てたいわけじゃない 如何しようも無い今を愛していたい なんて戯言を言っていたい」では、現実と理想のギャップに苦しみながらも、それでも希望を捨てずにいたいという感情を吐露されています。
まとめ
「Overflow」の歌詞は自己肯定感を高められず、信じられるものがない人々と社会の病理を鋭く描き出しながら、そのなかで愛を求めて奔走する人間の姿を力強く表現しています。
ただし、これを書いた常田の意図はよくわかりませんでした。この歌詞には不安定さや焦燥感というようなものがベースにあります。この時期の常田がそうした状況にあったかは不明ですが、何もないところからこうした世界観を創り出せる、ものとは個人的には考えないのですがどうなんでしょうか。
傘
壇上
自分との対話
「壇上」の歌詞には「俺」と「君」が登場します。あまり意識しないで読むと、この二人は恋愛関係にあった男女のように思われるのかもしれません。もちろんそれは常田によって作られたミスリードです。
「壇上」に出てくる語り手は一人なのですが、実は二人が対話しているかのように入れ替わりながら語っています。対話しているのは言ってみれば過去の自分と現在の自分ですが、単純に時間軸が離れた二人というわけではありません。
叶いやしない
願いばかりが積もっていく
大人になったんだな
ピアノの音でさえ胸に染みるぜ君はすっかり
King Gnu 「壇上」
変わってしまったけど
俺はまだここにずっといるんだ
汚れた部屋だけを残して
Aパートの語り手は現在の語り手の中にある「あの頃の俺」です。まだ知識も経験もなく純粋な情熱だけがあった自分が、「今の俺」の姿を客観視しているわけです。
ピアノの腕は上がったけれど
何も願いは叶わない
自分はすっかり変わってしまった
でも「あの頃の俺」は今も心のなかに居る
ちっぽけな夢に囚われたままで
King Gnu 「壇上」
売り払う魂も残っちゃいないけど
君のすべては俺のすべてさ
なんて言葉は過去のもの
今ならこの身さえ差し出すよ
Bパートの語り手は現在の自分です。「あの頃の俺」を振り返りながら自分の空虚さを嘆きます。
自分の魂を売り渡すようなことばかりを繰り返してしまった
「あの頃の俺」とは比べようもないほどの様々なものを手に入れたはずだった
今ではこの身を差し出したとしても届きそうにない
何も知らなかった自分を
King Gnu 「壇上」
羨ましく思うかい?
君を失望させてまで
欲しがったのは何故
何もかもを手に入れた
つもりでいたけど
もう十分でしょう
もう終わりにしよう
サビパートの語りでは二人が入れ替わりつつ歌われます。高いトーンが「あの頃の俺」で、低いトーンが「現在の自分」と歌い分けされている気がします。最後はリフレインというより二人の声が重なっているような演出になっています。
何も知らなかった頃の自分が羨ましいかい?
自分の期待を裏切ってまで手に入れようとしたのはいったい何のためだったのか
そんなことはもう十分でしょう
そんなことはもう終わりにしたい
目に見えるものなんて
世界のほんの一部でしかないんだ
今ならそう思えるよ本当に泣きたい時に限って
誰も気づいちゃくれないよな
人知れず涙を流す日もある履きなれた靴で出かけよう
King Gnu 「壇上」
靴音を高らかに響かせながら
決して足跡を消さないで
いつでも辿れば
君の元に帰れるように
A’B’パートは「現在の自分」の語りです。最後の「君」は「あの頃の俺」を指しています。
結局自分は何も見えていやしなかった
泣きたいことばかりだ
でも自分のペースで前向きに歩いてゆこう
あの頃の自分の気持を忘れないように
そばにいて欲しいんだ、どんな未来でも
King Gnu 「壇上」
譲れぬものだけを胸に歩いていくんだ
自分の身の丈を知り、それでも
背けずに見つめられるかい?
骨までずぶ濡れの明日さえも
信じられるかい?
大サビはおそらく「あの頃の俺」のほうの視点になっていて「現在の自分」を教え導いているのだとおもいます。
初心を忘れないで
自分を曲げないで
身の丈を知って現実から目を背けないで
希望を捨てないで行こう
最終列車はもう行ってしまったけれど
King Gnu 「壇上」
この真夜中を一緒に歩いてくれるかい?
何時間かかってもいいんだ
ゆっくりでいい
この足跡を辿って
確かな足取りで帰ろうよ
大サビ後半は「現在の自分」視点なのだと思います。
道を見失ってすっかり変わってしまった自分にも
まだ帰るべきところがある
時間がかかってもいい
はじめからやり直そう
壇上とは何なのか
まず語り手が誰なのかというところなのですが、ピアノの腕について言及されていることから常田自身を匂わせていることは間違いなさそうです。もちろんこの時期の常田が最初に抱いた志と現状のギャップについて悩んでいたのかどうかは知るよしもありません。
いずれにしても語り手がミュージシャンであるなら「壇上」の一つの意味としてはステージのことでしょう。とは言え、歌詞の内容からするとステージが主題にはならないような気もするので何か他の意味がありそうな気もしますが、残念ながら思いつけませんでした。
考えてみればステージはミュージシャンにとっては特別な場所でもあるのでしょう。そこに上がるごとに、ミュージシャンとして歩き出そうとした最初の気持ちを見つめ直すことが欠かせないという考えがあるのかもしれません。
また常田にとって、急激に変化する周りの状況のなかで、自分との対話は自分を見失わないでいるために必要なことでもあったのかもしれませんね。
まとめ
音楽的なことはよくわからないのですが、少なくとも歌詞についてはアルバム「CEREMONY」はKing Gnuにとって過渡期に当たるのではないかと思います。それくらい曲によって表現の立ち位置や姿勢が変わっているような印象がありました。
うまく表現することが難しいのですが、常田の内面から出た言葉をそのまま歌詞として使っている曲と、時間をかけた構想のもとに試行錯誤を繰り返して創作された歌詞の曲が共存しているという感じです。
これでKing Gnuのアルバム単位での歌詞分析は終えて、楽曲ごとにしたいと考えております。
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