Mrs. GREEN APPLE「breakfast」歌詞分析

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breakfast

2025年6月リリース曲。「サン!シャイン」テーマソング。

楽曲については相変わらず特に言及できることはないのですが、MVではダンスボーカルグループを目指しているのかしらと思うくらい踊っていますね。

所感

「breakfast」の歌詞は分析するほどに、大森詩作らしい特色が強く出ている曲だなと思います。「breakfast」は楽曲構造が変則になっていて、前半にサビがないのが特徴なのですが、これが歌詞の構成に影響しているように見えます。(逆ということはないと思います)

サビパートの歌詞は本来はもう少し前にあったと思われ、サビが後半に固められることになった影響で、歌詞を頭から読んでいる人には歌詞のテーマや意味が取りづらいものになってしまっているのだと思います。

「breakfast」は朝の情報番組の「サン!シャイン」のテーマ曲になっていて、実質的なタイアップ曲なのでしょう。タイトルの「breakfast」や「朝食を食べて、今日もしっかりと生きよう」という主題などはタイアップからの指定だと考えられます。

その一方で、大森は楽曲のインタビュー記事では自らは朝食は食べない派であると明かしていたりしますし、「今日を生きよう」というテーマ自体も若干歌詞の中では浮いています。基本的にこの楽曲はいろいろ制作上の不整合が目立っているような気がします。ミセスとしても、かなり余興的な意味合いが強い楽曲なのではないでしょうか。

さてここでは、主に歌詞を読んでの分析をしてゆきたいと思います。

歌詞分析

「breakfast」の歌詞は私たちの内面に潜む複雑な感情と、それらを受け入れながらも日々を肯定的に生きる姿勢を歌った、深く示唆に富んだ楽曲、ぐらいで分析を終わらせようかと最初は思ったのですが、そうするにしても、歌詞の意味が不明になっている箇所が多く見えます。

こうなっている理由は想像するしかないのですが、結論的に言えば「breakfast」の歌詞は校正的な作業が足りていないのではないでしょうか。いちおう表面上はタイアップとしてのテーマに沿った形で歌詞は書かれているのですが、大森の「本音」と思われる主張が透けてしまっており、それを穏便な形まで整形する作業が不足しているため、意味不明になった箇所が多くなっているのではないかということです。

なかなか説明することは難しいのですが、「breakfast」の歌詞の問題は、歌詞のメッセージをどう受け取るかということであるため、解釈上の話ということになります。解釈は読み手それぞれの責任でもあるため、以下は参考程度のものとしてお考えください。

この歌詞の結論としては「前向きに生きる」というところに着地しているのですが、そうあるための手段として、「今日だけを見てしっかりと生きよう」という「現実への直視」の提言があって、現実世界への手がかりとして「朝食」を位置づけるものになっています。

この提言であれば、思い悩んでもしかたないことを悩む人や、空想や夢想を描きがちで現実逃避してしまいがちな人がいる、ということを前提にして、そういう人たちに対して、日常の現実を見据えて「しっかりと今日を生きよう」というメッセージになるのが普通の展開でしょうし、納得しやすい趣旨であったと思います。

ところが「breakfast」の歌詞は、その点がかなり混乱しているように見えます。「今日だけを見てしっかりと生きよう」と現実を見据えることに、なぜか「あなただけの世界」というものが提示されて、接続されています。この「あなただけの世界」は「醒めない夢」も「情けない現実」もただの景色になるという、「夢」でも「辛い現実」でもない世界のように表現されています。

歌詞の論理構成からすると、「あなただけの世界」は現実ではあるのですが、かなり限定された現実世界であり、少なくとも「情けない現実」からは逃避した現実世界だ、と解釈するしかありません。

これは歌詞としては無駄に分かりづらい話であり、単純に構成が整理されていないようにも感じます。この原因となっているのは「あなただけの世界」というものがサビで強調されている割に、その内容が理解しづらいことにあります。

順番に説明してみます。

あなただけの世界が
だけの世界で
『私らしく「おはよう」』
難しいことは
ここらでやめて
身支度を済ませて
陽の光を浴びて
朝食を済ませてゆく

上は「breakfast」のラストパートですが、「①あなただけの世界で」「②難しいことはやろうとせずに」「③朝食をたべて自分らしく今日を生きよう」というメッセージがここでまとめられています。これはそのまま「breakfast」全体の歌詞構造になっています。

「③朝食をたべて自分らしく今日を生きよう」に関してはおそらくタイアップの指定そのままなのでしょう。本来は③がこの歌詞で最も訴えたいメッセージになるはずです。そのために①②③の三段的な構成になっていると思われるかたが大半なのかもしれません。しかし作詞家になったつもりで少し考えてみてください。

③の自分らしくあるためには①が必要であるとしても、全体の流れ(①②)から③に行くのは論理的にはあまり繋がっていないとは感じられないでしょうか。歌詞の大半は①②の内容を言及するものになっており、付け足されたかのように③が表現されて終わっています。

通常は、③というメッセージへの結論にしたいのであれば、①も②もそれほど強調される必要はありませんし、むしろ不要としたほうがわかりやすいでしょう。問題設定にもよりますが、①も②も③への問題の解決手段とは言い難いことだからです。

メタ的な推測をするに、これはもともと①②の原型となるような歌詞があって、タイアップに対応のためにそれが流用され、最後に③をくっつけてまとめているために、論理的不整合として見えてしまっているのではないかと思います。

あなただけの世界が
だけの世界が
今日も広がっていく
他の誰でもない
何でもない
奇跡をあなたは持っている

上は2サビの歌詞ですが、ここでは「①あなただけの世界」の価値が特に強調されており、歌詞の関心の中心はここにあることは明らかです。ここから現実世界を見据える「③朝食を食べよう」という話につなげるのは、不自然とまでは言えませんが、かなり強引だと感じます。

歌詞構造の実体

歌詞が合わせ技的に作られていることをどうこう言おうとしているわけではありません。こうしたあからさまな構造を放置してまで、どうして①②が保存されることになったのか、という疑問があるのです。

まず「①あなただけの世界」を考えましょう。「breakfast」の歌詞では「朝食」そっちのけで素晴らしいものと強調されるものなのですが、実際のところ何を意味していると考えられるでしょうか。つまり文字通りに取って「自分(あなた)しかいない世界」ということでしょうか。あるいは「主観的な世界」のことを言っているのでしょうか。あるいは「自分の思いのままになる世界」のようなことを言っているのでしょうか。

大森詩作において「だけの世界」というのは、心理学で言う「内的世界」のことを言っているのではないかと思われます。「内面世界」や「精神世界」と言うこともできるでしょう。

そうすると「②難しいことはやめて」は何でしょうか。

おそらく「breakfast」の歌詞において「難しいこと」は「①あなただけの世界」の外のこと全般(外的世界)を象徴していると考えられます。

つまり「②難しいことをやめる」ということの意味は、「外的世界」とは関わりを持たないようにしよう、という主張になっているのではないでしょうか。言ってみれば「外的世界」全体を否定しており、ある意味で「社会との関わりの否定」でもあり、総合すると「①あなただけの世界(内的世界)」に閉じこもろうよ、という主張であるように見えます。

「①あなただけの世界」が「内的世界」なのであれば、「外的世界」からの干渉に煩わされない環境であることが望ましいでしょうから、この「内的世界」を完全なものにするために②の「外的世界の否定」はあるのでしょう。

隠される「本音」

これは偏った解釈にすぎると感じられる方もいらっしゃるでしょうから、個人的な曲解であることは認めますので、さらにいくつか根拠もあげさせてください。

この一年ほどの大森詩作では歌詞に大森自身の「本音」らしきものがそのまま入っていることがあります。こうした場合、「本音」はそのまま書かれるのですが、周辺にミスリードとなる関係のない文言が散りばめられることが通例になっています。このため「本音」が何なのかは一見分かりづらいものになっています。「breakfast」の①も②も基本的には大森の「本音」が表現されているのでしょう。

関係ない 居ない
目の前に居ない人を救う?
難しいことは考えずにいつだってスルー
何気ない言葉に傷つくくせに
あなたこそ正しく言葉を使えずにいる

これは冒頭のパートですが、素直に意味がわかるようなものにはなっていません。文の主体や対象(主語や目的語)が何であるかが伏せられています。

この後段の「何気ない言葉に傷つくー」は「言葉で正しく自分の意図を伝えられないためにお互いに傷つけあっている状況」というものが描かれているのでしょう。そのため、前段の「関係ないー」は「傷ついた言葉」などの第三者の発言の具体例のようにも見えます。たとえばSNSでの発言などですね。

しかし、後段は「breakfast」の歌詞のテーマとは関係がなく置かれた無意味なフレーズであり、「本音」に対するミスリードだと考えてみます。そうすると、この前段というのは大森の「本音」ということになります。

歌詞を言い換えると「目の前に居もしない関係ない人を救うだって?」「自分に関係のない(難しい)ことはスルーしようよ」というような主張になるはずです。

もちろんこれはかなり極端に言っていますが、「本音」というものは常にカッコいいものばかりではありませんよね。むしろ大っぴらには言い憚られる内容であるのが「本音」でしょうから、ミスリードなどを使って意味を分かりづらくしているのはそのためです。

どこかで泣いてる人が居る
私だって泣きたい夜もある
どうなったって僕のせいでもいいから
「嫌わないでほしい」

続くパートではさらに強い「本音」が明かされます。もちろん最後の「嫌わないでほしい」自体が本音であることは、「ダーリン」の歌詞分析などを読んでいただいた方には自明なことではないかと思います。

このパートは表面的に解釈するだけでは「どうなったって僕のせいでもいいから」の部分の意味がわからないのではないかと思います。ここは元の文章があって、それが濁された結果だと考えてください。

どこかで泣いている人がいるって言うけど
私だって泣きたい夜ぐらいはある
知らない人がどうなろうと構わない。
「(こんなことを言う僕を)嫌わないでほしい」

なかなか酷い言い草ですが、これくらいの文章をゴニョゴニョと濁した結果が歌詞のパートになるのだと思います。端的に言えば「どこかで泣いている人はどうでも良いでしょ」というのが「本音」になります。

こうした「本音」は「①あなただけの世界(内的世界)」の正当性を強調して強化するために置かれているわけで、歌詞全体として見てもそう解釈することに整合性があります。メタ解釈するならストックされた歌詞のなかに①②を基本とした元となった作品があったのでしょう。

つまり基本的な意図としては「自分とは関係ない人」あるいは「自分ではどうにもならない」ようなことで悩むのはやめよう、というものであったのでしょう。

こうしたコンセプトであっても、SNSなどで人間関係に疲れているような特定の人へのメッセージとしては問題のない内容ではないかと思います。

ただ「breakfast」のように一般的な人に向けて「今日をしっかりと生きよう」というメッセージとしてこれをまとめてしまうには、現実逃避を推奨しているようにも取れるわけで、歌詞内で内容や状況の設定をもっと説明する必要があったのではないでしょうか。

大森詩作における「内的世界」への賛美も、こうした文脈でなければ素晴らしいものになった可能性はあるわけですし、それ自体を否定したいわけではありません。また「内的世界」を肯定するために「外的世界」を否定までしてしまうことは、行き過ぎだと感じる人は少なくないでしょう。

そもそも「今日をしっかりと生きよう」というメッセージは、普通に生活している人が改めて共感し、感銘を受けるようなメッセージとは思えません。これはタイアップしたテレビ局のセンスがどうかしている部分もあるのではないかと思います。

これからのアーティスト像

大森詩作として考えると、「breakfast」はかなり大森の主張が入った曲として評価できると思います。「本音」をストレート(?)に書いている事自体は高く評価して良いでしょう。主張の内容も完全に共感できるわけではありませんが、内向性の強い人であれば、外界に興味を持つのは大変でしょうし、部分的には正解でもあるのでしょう。

まとめると「breakfast」は不要な言葉が多く、説明も足りていないために「誤解」が生じやすくなっているように見えます。もっと時間をかけて熟成させれば「自分を見失わないようにもっと気楽に生きよう」というぐらいなところでまとめられたのではないかと想像します。つまり最初に指摘したように、校正的な作業が足りていないという結論になります。

個人的にはアーティストには「泣いている人がいるなら手を差し伸ばそう」と歌って欲しいという価値観ではあります。ただし、もしかしたら現在の若者世代にとっては内向的な個人主義が「刺さる」のかもしれませんし、「博愛」というものが空虚に聞こえているのかもしれません。それは世代の問題かもしれず、社会の問題かもしれず、最近はもうよくわからないところですね。

狩生

  ■ セミリタイヤブロガー ■
  ■ 減速ライフを実践中! ■
  ■ のんびり生きましょう ■

読書 / 古代史研究 / ウォーキング / ダウンシフター / ドロー系絵描き / AppSheet / 脱消費主義 / 英文小説

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