自動車が社会に与える影響についてWikipediaの記事を中心にまとめてみました。
20世紀初頭に生まれた自動車は現代では私たちの日常生活において非常に重要なものになっています。多くの国で主要な交通手段になりましたが、同時に自動車の氾濫は次第に社会的な問題になりつつあります。
自動車産業は鉄道などの輸送事業の一形態として始まりました。産業の発展にともなって雇用の形態をはじめ、社会的な関係性、インフラ、商品流通などで社会のあり方そのものに大きな影響を与えてきました。
自動車は遠隔地へのアクセスや快適な移動手段を提供し、人々の交流範囲や経済的にリーチできるエリアを格段に広げることに貢献しています。そして自動車の生産は大量生産という革命により、社会に利便性をもたらし労働需要と税収をも生み出しました。
その一方で日常生活に及ぼすマイナスの影響も存在し、モータリゼーションの進展は社会と環境に深刻な影響を与えはじめています。
自動車への過度の依存による影響には、再生不可能な燃料の使用、事故死亡率の増加、地域社会の分断、地域経済の衰退、人口増加、心疾患の増加、大気汚染、騒音公害、温室効果ガスの排出、都市のスプロール化と鉄道網の減少、自動車パラダイムの基礎となってきた距離単位あたりのコストの増加、等々があります。
クルマ社会の功罪
20世紀初頭には自動車の大量生産がはじまりました。米国での自動車生産台数は1907年には45,000台でしたが、28年後の1938年には3,971,000台とほぼ90倍に増加しました。
生産量の増加に対応するために大規模な労働力が必要とされ、1913年には14,366人がフォードで働いていましたが、1916年には132,702人になり、自動車産業での雇用は大幅に増加しました。
20世紀初頭に西側諸国に自動車時代が到来したとき、多くの保守的な知識人は道路を走る自動車の増加に反対しました。歩行者のためのスペースは失われ、歩行はますます危険になり、自動車の衝突による歩行者の死亡事故は大幅に増加したからです。
利便性の裏の諸問題
自動車により遠隔地へ行くことはたしかに容易になりました。しかし自動車の普及とともに都市のスプロール化が進み、古い路面電車システムの廃止などの結果、大都市では定期的に訪問する場所までの平均移動時間はかえって伸びる結果になっています。
これは交通渋滞と都市のスプロールにより自宅と職場間の距離が拡大したことに起因しており、絶え間ない渋滞は大気汚染と騒音、交通事故の増加により人々の健康を悪化させ、ビジネスや買い物、生活の場としての都市の価値を著しく損ねています。
クルマ社会の成立
クルマ社会の成立には道路建設のための公的に予算が設けられたことや、商業区域の設定など政策的に自動車の使用が推奨されたことが大きく関わっています。新規事業などでは施設の規模と種類に応じて一定の駐車スペースを設けることが法的に義務付けられました。
この結果多くの駐車場が生まれ、事業所や住宅の密度が低下したことによりクルマのない生活がより不便になってゆきました。
大型の商業施設は大通りや町の中心部から収益を移転し、多くのショッピングセンターや郊外では歩道が設置されていません。道路を歩行する危険性が増したため、人々は十分に歩いていける距離の移動でも自動車を使用する傾向が強くなりました。
米国人の自動車依存度は病的なレベルまで深刻化し、自動車を所有できるほど裕福ではない人々や、年齢や身体障害のため運転できない人たちにとっては移動が極端に困難になったため、雇用の機会の喪失や活動が大幅に制限されるようになっています。
経済、文化への影響
自動車の生産や販売には大きな労働需要を生み出し税収も大きくなるため、国の経済にとって自動車産業の有無は大きな意味を持ちます。産油国などの自動車産業のない自動車依存の高い国では貿易収支に少なくない負荷がかかっています。
2009年の時点で米国の自動車製造業界は880,000人の労働者を雇用しており、これは米国の製造労働力の約6.5%に相当します。
第一次世界大戦後には自動車の総所有コストが低くなったため多くの人が日常的に遠くまで移動できるようになりました。1950年代の高速道路の整備もこれに拍車をかけました。
都市社会の変化
自動車の普及前の歩行者は比較的ゆっくりと走行する馬車や路面電車に注意する必要がありましたが、現在の歩行者は高速で走行する自動車による安全上のリスクが高まっています。
多くの社会学者によると、歩行者スケールの村落の喪失によって地域のコミュニティが分断されてしまったっと言われています。先進国では近所との交流が希薄になり、意図して歩く人でない限りほとんど歩かない人も多くなっています。
第二次世界大戦後の米国では様々な住宅政策や規制によって郊外が豊かな社会の舞台になりました。1960年代までの経済の好景気によって、自動車販売は年間600万台から1000万台まで増加しました。既婚女性が労働者となり、2台用の車庫がある世帯が一般的になりました。
1970年代には経済の停滞により、自動車がもたらした社会の変化に対する社会からの批判が高まりました。移動そのものが無駄だとみなされ、不況が深まるにつれて新たな排ガス規制やCAFE規制が自動車メーカーの利益率の妨げとなりました。
自動車販売台数は1973年の1460万台が当面のピークとなりました。1973年のオイルショックによりガソリン価格が高騰し、燃料配給などが話題になりました。
自動車と郊外の文化は1960年代には成立し、北米社会における自動車の支配はそれ以降変わることはありませんでした。自動車は空想と社会からの逃避を可能にするプライベートな世界であり、クルマのサイズと性能は増大してゆくものでした。表現の自由に基づいた消費者行動を病理とみなす意識は希薄でした。
自動車が登場するまで、工場労働者は工場の近くか路面電車や鉄道でつながった遠く離れた高密度のコミュニティに住んでいました。自動車と自動車文化を支えた道路や政府の補助金により、人々は市の中心部や隣接した都市近郊よりさらに離れた低密度の住宅地に住むことが可能になりました。
郊外には工業地区は設置されなかったので、地元の雇用はほとんど生まれることはなく、郊外が拡大し続けるにつれて住民は毎日より長い距離を通勤するようになってゆきました。
自動車と文化
アメリカ社会では自動車は伝統的に個人の移動手段として重要な役割を果たすようになり、独立、個人主義、自由の象徴と見なされるようになりました。自動車は音楽、書籍、映画などの芸術作品にもテーマとしてとりあげられることも多くなりました。
観光地が自動車に対応するにつれて、個人や家族が国立公園などの離れた場所で休暇を過ごすことが可能になり、これまで踏み入れて見ることが難しかった自然の風景を多くの人が体験できるようになりました。
第二次世界大戦後のヨーロッパでは多くの社会民主主義政府によって大規模な高速道路建設が計画され、道路建設と、雇用を創出し労働者階級が自動車を利用できるようにする政治イデオロギーが合流することになりました。
1970年代は自動車の普及の宣伝は保守派の特徴となり、石油危機の影響で環境への意識が醸成されました。緑の党は部分的には自動車文化への反応として生まれています。
20世紀における自動車文化の台頭はロードムービーや大作映画において重要な文化的役割を果たすことになりました。強力な自動車に乗っているヒーロー、コメディやファンタジーでは登場人物としてもクルマは現れました。また多くの自動車レースをテーマにした作品も作られています。
自動車は私たちの社会に溶け込み、単なる移動手段やステータスの象徴というだけではなく生活様式を構成する大切な一部になりました。
現代においては、自動車を使ったレジャーや旅行を楽しむ人も多く、ドライブやモータースポーツなどのドライビングイベントもクルマ趣味の重要な柱になっています。また自分のクルマを所有し、整備し、運転することに誇りを持っている人々があつまって交流を促進することを目的に多くの自動車クラブが設立されました。
交通事故
自動車事故は米国における事故死の38%を占めており、自動車事故は米国の事故死の主な原因となっています。自動車での移動による死亡は歩行や自転車などに比べて単位時間あたり、距離あたりの死亡者数は少なくなっていますが、自動車による移動が圧倒的に多いために、自動車の安全性が重要なテーマになっています。
20世紀中に自動車事故により約6000万人が死亡したと推定されています。これは第二次世界大戦の死傷者数とほぼ同じです。2010年だけでも交通事故により123万人が死亡しました。
とはいえ自動車事故は減少傾向にあります。先進国の自動車事故死亡者数は1980年以降減少し続けました。日本の2008年の交通事故死亡者数は5115人に減少しています。これは一人あたりの死亡率にして1970年の25%、車両あたりの死亡率で17%まで減少したことになります。
自動車の経済性
外部不経済は自動車の利用による直接の便益と費用として参入されていない収支のことを言います。たとえば交通のために使用される道路などの土地は土地利用において大きな割合を占めていますが、他の目的には使用できなくなります。
デルフト大学によってまとめられた交通経済における自動車の外部不経済は次の通り
- 渋滞と機会損失
- 自動車事故による損失
- 大気汚染コスト
- 騒音コスト
- 気候変動コスト
- 自然環境と景観にかかるコスト
- 水質汚染のコスト
- 土壌汚染のコスト
- エネルギー依存コスト
また自動車の利用にかかる社会的な費用も大きなものになっており、高速道路の建設や維持にかかる費用や駐車場の設置などが法的に定められることも多くなっています。こうしたコストは自動車のユーザーの収支とは別に扱われており、こうしたものも外部不経済に追加されるものと言えます。
自動車にはインフラ整備への補助金、交通違反の取り締まりなど費用を通じて様々な公的な支援があり、自動車の所有コストの一部を相殺するため他の公共交通機関に対して通勤手段などの選定において優位に立っています。
都市の交通計画の立案者は都市内の通行料金や燃料税の引き上げ、渋滞料金の新設、市営駐車場などの市場価格設定などにより、都市内の交通手段のバランスを取ろうとする傾向にあります。
このようにクルマ社会を維持するために社会が負担している外部的なコストは一般に思われているよりもかなり大きいと言えます。
自動車の内部コスト
ある研究では、自動車の生涯コスト(製造から廃棄までにかかるコスト)の総額は60万ユーロから100万ユーロであると算出されています。このコストのうち社会が負担する割合は41%(年間 4,674ユーロ)から29%(年間 5,273ユーロ)です。これは自動車が可処分所得の大部分を消費していることを示唆しています。
一般的な旅客輸送手段、特にバスや電車に比べると自動車は乗客の移動距離あたりのコストが高くなります。平均的な自動車の所有者にとって減価償却費はランニングコストの半分を占めますが、それにもかかわらず多くのユーザーはこの固定費を大幅に過小評価する傾向があります。
米国ではクルマの所有コストは州によって大きく変わりますが、修理、保険、燃料、税金を含む年間の所有コストはジョージア州4,233ドルが最も高く、オレゴン州2,024ドルが最も安くなりました。全国平均は3,201ドルでした。
まとめ
クルマ社会が私たちにもたらした直接的な影響は決して少ないものではありません。現代社会は自動車によって支えられ、労働や税収などの社会基盤を形作っていると言えます。人々が直接的に受けている利便性も大きいでしょう。
しかし、このクルマ社会を維持するためのコストは必ずしも私たちにとって安価なものではないようです。個人による所有コストの負担に加えて、外部的な経済もきちんと算入するのであれば私たちは本当にクルマ社会の維持を望んでいるのか考え直す余地はあるようにも思われます。
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